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写真、短歌、日々の思ったこと。
2006年11月09日 (木) | 編集 |
「手紙」東野圭吾
文藝春秋
¥620(税込)


泣いた。
息が苦しかったです。
両親をなくしてから弟を養ってきた兄の剛志は、弟の直貴にどうしても大学へ進学して欲しかった。体を壊し仕事が出来なくなった剛志は、お金を手にするべく強盗に入る。そこにたまたま居合わせた家人を殺してしまい、強盗殺人の罪で服役することとなる。

直貴のもとには、獄中から月に一度、兄から手紙が届く。しかし、進学、恋愛、就職と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、「強盗殺人犯の弟」という運命が立ちはだかる苛酷な現実を生きる直貴にとって、その手紙(兄との繋がり)はとても辛いものだった。

誰もが自分の幸せを願っています。それから出来るだけ人に迷惑をかけないように、周りの人を傷つけないように。でも人生には、大きなものから小さなものまで、割と頻繁に落とし穴が用意されているのです。そして一旦そこへ落ちてしまうと、どれだけ理不尽であろうが、割り切れない思いが渦巻こうが、受け入れなければならないことがあります。

この「手紙」は、その落とし穴でも最大級の、ブラックホールのような落とし穴にはまってしまった人たちの話のように思いました。

弟の直貴が人を殺したのではない。周りの人は良い人が多く、それを充分承知して、彼にも幸せになる権利はあると思っています。けれど正直言って自分は関わりたくない、自分ではない誰かがそうしてあげて欲しいとも思っているのです。

私には障害者のいとこがいます。私は幼い時からそのいとこと時間を共にする度に、差別をしてはいけない、体の良く動く私が気遣ってあげるのが当然だ、と思っていました。けれどその思いこそが差別なような気もしていたし、優遇されるいとこをズルイと思ったこともあるし、いとこを見ていて、正直自分が健康体で本当に良かったと思う時もありました。

それから、そのいとこには出来る限り幸せでいて欲しいけれど、自分から積極的に関わりを持つのは避けていたように思います。いとこやその家族を刺激するのも嫌だったし、一生懸命やればやるほどいとこを障害者扱いしているようにも思ってしまう。あれこれ考えた末、結局は少し距離を置いてしまう自分がいるのです。

人の「面倒なことに関わらないようにしたい」という気持ちは、きっと努力してもなくならない。どうしようもないことというのは、世の中に確実に存在しているのです。差別はなくならない。何かあるとすぐにされる側、する側になってしまうのです。

物語の中の、直貴の葛藤たるや、まるで終わりのない地獄の苦しみです。周り人たちの、人として助けたい思いと、それに反して差別してしまう思い。兄を許すということと、許せないという気持ち、被害者や社会から決して許してもらえないということ。

物語の最後は、終わりではなく、繰り返す苦しみの1つを終えたシーンという感じでした。あまりに大きな落とし穴に落ちてしまった人たちは、そこから出るまでに一生を費やしてもまだ足らない時間が要るのかも知れません。

この小説を読んで思ったのは、人って、真剣に生きようとすればするほど悩んで、迷って、だから変わってゆくんだな、ということです。

直貴も葛藤の中、状況が変わるその度に悩み、考えた末、変わってゆきました。最後のシーンも兄弟は絶縁したままでしたが、これからの変化を感じさせるようなものです。登場人物が皆それぞれ真剣に生きていたので、私はちょっと恥ずかしくなってしまいました。もっとちゃんとしなきゃ。

さて、来週映画(←音注意)を見るかどうするか・・・。
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