写真、短歌、日々の思ったこと。
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2006年12月31日 (日) | 編集 |
taniさんのブログで紹介されていた「野菊の墓」をアウトプットして読みました。コメント欄でtaniさんに涙ぐむかも・・・って言われましたが、涙ぐむどころか、泣きましたw。可哀想すぎTT。

主人公の政夫と民子は純粋すぎるほど純粋にお互いを好き。無邪気で気弱。恋を恋だと気付いていないところから、それと気付き、お互いにそこはかとなく気持ちを確かめ合うところまで、その描写はとても生き生きとし、みずみずしくて微笑ましかったです。二人は二人でそこに居るだけで、この世の全てを喜びで見ることができた。

そんな二人を世間、世間体というものが引き裂いて行くのです。

世間や世間体というものは、今はもう、徐々になくなってきているように思います。二人が今の時代に生きていたら、なんの障害もなく周囲の祝福を受けて幸せになれたと思います。

いや、もしかしたらあんな閉鎖的な時代でさえ、周りに誰か一人でも、世間体など気にする必要がない、二人は二人の想いのまま生きるのが自然だと認められる強い人がいたなら、あんなに悲しい結末にならずにすんだのに。

世間体やモラルがなければ、世の中はめちゃくちゃになってしまう。それらを気にする人が少なくなってきた今、確かに世の中がおかしくなってきている気がします。けれど、縛られて生きていくことが自分を殺してしまう時があるのも事実です。

バランス・・・。バランスを保つことが大事なんだけど。
でもそれが一番難しいんですよねw。何が正解かなんて、死ぬ時になってみないと分からない。死んだって分からないかもしれません。とりあえず私は、私の気持ちに正直になるだけです。それしかできない。その代わりといってはなんだけれど、他の人の気持ちも大事にしたいです。

もしも私が政夫と民子がいる世界にいたなら、「世間がなんて言ったって、好きなら一緒にいたらいいんじゃないの?」って言って応援してあげたかったです。

■リンク:「野菊の墓」伊藤左千夫作 全文
■大まかなあらすじは続きを見るに書いてみました。

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2006年12月30日 (土) | 編集 |
ピアノの森 大好きな漫画です。
 前に斑尾にスキー旅行に行ったとき、
 泊まったペンションで見つけて
 ひとり読みふけってしまいました。
 みんなが大騒ぎで宴会しようが、
 もう一切お構いなしw。
 読むのを止められませんでした。

家に帰ってそろえようと思ってたんですが、結局そのまま。
今日ついに大人買いしました!やっぱり面白いです。
巷ではのだめがブームですが、まだ読んだことありません。
ピアノの森よりもおもしろいのかなぁ・・・。

2006年12月20日 (水) | 編集 |
そら


宇宙から見た地球なんじゃないのー?
なんで私こんなところにいるんだろうw



2006年12月14日 (木) | 編集 |
「がんぎの町から」杉みき子
偕成社
¥1400

新潟の上越市(旧高田)に生まれ育った作者の、地元に対する愛情がひしひしと感じられる本です。20年以上前の本で、今ではもう絶版になっています。私は図書館の書庫から出してきてもらって借りました。

作者の杉みき子さんは黒井健さんの絵本で知りました。でもその絵本は、黒井さんの絵は相変わらず素晴らしかったけれど、物語のほうは不思議な感じはするものの、取り立てて面白かったという訳ではありませんでした。

けれど、その絵本の中の一文が、私に、杉みき子さんてどんな人だろう?どういう考えで、どういう本を書いている人なんだろう?と思わせたのです。
その一文は、

「とおく灯台のあかりが明滅し、
 海も、国道も、車たちも、
 みんな夢のなかにいるような月夜である。」

情景がパーっと広がったんです。

「がんぎの町から」に戻りますが、この本は随筆集です。日常の風景の中で、作者が感じ取ったことなどが記されていて、雪国の暮らしや作者の人柄がとてもよく分かる本です。

中には、「わが国の日本海岸は世界で第一の深雪地帯となっている」という、ビックリすることも書いてありました。

世界には積雪の多い地域はあるけれど、そこに住んでいる人間はごく少なく、新潟などのように雪の下で都市?生活が営まれているのは日本だけと言っても良いくらいなのだそう。ちなみに当時シベリアのウラジオストックの最深積雪量が47㎝、高田は377㎝だったそうです。

そうかと思えば、カタツムリの殻は中は空っぽで、どうしてあんなばかでかい荷物を後生大事に引きずっているのだろうと不思議だったが、あれはたぶん、目には見えなくても、カタツムリにとってだいじなものが、いっぱいつまっているに違いない、とか書いてあったりします。

地元にある何の変哲もないお堀端は、市民の憩いの場になっていて、水鳥の憩いの場にもなっている、そしてその集まった人や鳥をなんとなしに見ている自分がいる。

「世の中には、一見、なんの役にも立っていないようにみえながら、じつは、それがそこに存在するということだけで、人びとにはかり知れない恩恵を与えてくれているものがある。」そういうことも書いてありました。

今、この人の書いた「小さな町の風景」という、短い物語を集めた本を読んでいるのですが、その本もまた生まれ育った高田から出ることなく書かれた物語ばかり。読むと心の中が暖かくなるようなお話ばかりです。

杉さんは、自分のことを井の中の蛙だと書いているけれど、私は、自分自身が移り気で、遠くばかりを見て足元が見えないほうだから、こういう人にとても魅力を感じます。なろうと思ってなれるものじゃないから憧れます。

あと「小さな町の風景」を読んでいて思ったのですが、私はどうも杉さんの文体、というか言葉遣いにとても惹かれているようです。幼い頃から本をたくさん読んでいたからか、それとも昭和5年生まれだからか・・・。きれいな言葉がきれいな流れで紙の上に載っている、という感じなのです。

2006年12月08日 (金) | 編集 |
何を隠そうこの私、自はもちろん他にも強制的に呼ばせたいほどの蟹マスターなのです。

日本語で言うと蟹奉行?あ、ちなみにセイコ蟹オンリー、しかも剥き専門ですw。茹でたり売ったりはパソさんにお任せww。

あれは思春期まっさかりの中学校2年生の冬。私はとうとう大人の味を知ってしまったのです(///)←なぜか赤面。

「蟹は足じゃないで、ミソ(特に内子)やで。」14歳のお正月、私がそう言い放った時の、いとこの「えっ・・!○○ちゃん、先に大人になっちゃったの・・・!?」とでも言いたげな顔は忘れませんw。いや、言ってはいないんだけど、あれは確かにそういう顔だったww。

その味を知ったその日から、私は日ごとメキメキと頭角を現し(と言っても練習日は冬の限られた日数ですが)、18歳になる頃には誰もが認める、誰もが唸る、蟹マスター(もっかい言うけどセイコ蟹、剥き専門)に成長していました。

ま、そんな私でも蟹フォース・・・じゃなくて、蟹フォークを使いこなすまでにはかなり時間が掛かりましたけどね。←これが言いたくてw

・・・なんて書いてるうちに、また記事が長くなってしまうww
忘れてたけど、今日のテーマは「蟹めし」です。
さあ、剥きますよー!

蟹の殻からいかに身を100%までむけるかが蟹マスターのうでの見せ所。ガラ用ボールと身用ボールを用意し、まず卵を外して、その後剥きやすいようにカットします。そして蟹フォースで・・・あ、もういいですか?そうですかw

ちなみに蟹のカット方法は誰かに学んだ訳でなく、中3の冬に母に(というか母のお客さんに)連れられて行った越前町の料理屋さんで、食べながら習得しました。

何度も話に出てきたように、私の母はスナックを経営していましたが、その前は三方~美浜方面を中心に、宴会のコンパニオンをしていました。結構売れっ子だったので、子供心に「お母さんてば、荒稼ぎしすぎ!」って思ってましたw。

特に三方の何とかっていうどっかの議長さん(ごめん、忘れましたw)のお気に入りだったので、土日とかは私も一緒にいろんな所の、ありとあらゆる美味しいものを、ご馳走になり三昧。蟹も「また蟹ぃ?」くらい食べさせてもらいました。そんなこんなの蟹マスター。

私の味覚はあの時期、あの思春期に確立した気がします。ありがとう、本物をいろいろ食べさせてくれた、何とかっていうどっかの議長さん!名前は忘れたけれど、本っ当に感謝しています。
って、気が付けばまた話が逸れてるしw

炊くよー
炊きますよ・・・。

蟹3匹にお米3合。
お酒50cc、みりん30cc、塩小さじ1/2、
お醤油30ccを入れて、ダシ汁でなく水で炊く。
ダシは蟹のみ。甲羅を入れて炊いて下さい。

身もミソも卵も全部入れて下さい。
蟹の身を剥いてる最中に、誘惑に負けないようにw
幸せは後で何倍にもなって返ってきます!

さぁ!!!もったいぶって 

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2006年12月08日 (金) | 編集 |
タルト

久々に、タルトを焼きました。
台はパートシュクレ。4台分を一気に作って冷凍しておきます。アパレイユは生クリームたっぷりのプリン生地のようなものにしました。

オーブンの癖で焼き上がりが甘く、更に温度を上げて時間を延ばしたら・・・忘れてたww。気が付いたら焦げギリギリの焼き上がり。辛うじて苦くは無かったので良かったです・・・。人にあげる為に作ってるってのに、忘れるって一体どういうことw?大丈夫か、あたし。

生の洋ナシも最近は簡単に手に入るけれど、缶詰があったので使い切ることにしました。たっぷり並べる。

この中へアパレイユを流し込むのですが、液体なのでスレスレまで注ぐとオーブンまでの移動が大変。そこそこまで注いで、型をオーブンに移動させてからスレスレまで足し注ぎます。

上のテカテカの正体はグラサージュ。今回みたいにタルトなどの焼き菓子の上に塗ったり、ショートケーキなどの苺やフルーツの上に塗ってテカらせます。それだけでプロみたいな仕上がりww。小分けで売ってるからいつもクオカで買ってます。

台にバターがたっぷり入ってるんだけど、カルピスバターを使ったせいか、くどくなくて良い感じ。美味しく出来ました。

2006年12月05日 (火) | 編集 |
huó lì mén neng biao shi jian ti zi le
活力门能表示简体字了。
ライブドアは簡体字を表示できるようになりました。

ping yu yao hai bu neng
评语栏还不能。
コメント欄はまだできませんが。

shang xing qi xue xi zhe han yu le
上星期学习这汉语了。
先週この中国語を勉強しました。
Tang Li: Liu Fang, ni kan shui lai le?
唐力:刘芳,你看谁来了?
唐力:劉芳、ほら見て、誰が来たと思う?

Liu Fang:yo, Muxia xiansheng, Muxia furen!
刘芳:唷,木下先生,木下夫人!
劉芳:あら、木下さん、奥さんも!

   Huan ying, Huan ying! Kuai wuli zuo
   欢迎,欢迎!快屋里坐。
   ようこそ、ようこそ!どうぞ中へお入り下さい。

(Muxia)Yang zi:Da jiao ni men le
(木下)洋子:打搅你们了。
(木下)洋子:おじゃまします。
唐力(タン・リー)さんと刘芳(リウ・ファン)さんは夫婦です。
中国は夫婦別性で、こういう苗字一文字&名前一文字の計二文字の名前の場合、お互い家の中でも苗字と名前を全部呼ぶことが多いそうです。

日本で言うと、

「山田花子、ちょっと来て。」
「なに?福井太郎。今忙しいんだけど。」

って感じですが、大抵二文字にして呼ぶので、この場合は下の名前で呼ぶのかなw。ちなみに私が習っている先生は帰国子女の日本人で旦那さんは中国人。先生は下の名前、照美(zhao mei ジャオメイ)と呼ばれているそうです

中国語で「木下先生」というのは「木下さん」という意味です。「先生」は英語の「Mr.」と同じ。男性を呼ぶ時に使います。日本語でいう、何かを教える先生は「老师 (lao shi ラオシー)」です。

日本人は名前を呼ぶ時、いきなり呼び捨ては失礼だけど、中国では普通なのだそうです。さん付けするのは結構堅苦しいのだそう。家族や友達はもちろん、仕事仲間も呼び捨て。中国人にいきなり「山田!」とか呼び捨てされても、それは親しみを込めて、というかそれが普通なので、ムッとするところじゃないのだそうです。気をつけましょうw

「打搅」は「邪魔をする」という動詞。
「打搅你们了(直訳:あなた達を邪魔した)」の主語は実は「我们(wo men ウォメン)」で、「我们打搅你们了(直訳:私たちはあなた達を邪魔した)」となるところを省略されています。これから邪魔するのに既に「了」という過去形になってますが、そういうものなんだそうです。

あと関係ないけど、ライブドア。「活力门」ですw
これ、発音が「huó lì mén フォリイメン」。なんとなくホリエモンに似てるのは偶然だそうですww

2006年12月05日 (火) | 編集 |
「にわぜんきゅうの般若心経」
にわ ぜんきゅう
エフエー出版
¥1500(税込み)

般若心経(はんにゃしんぎょう)を易しく解説した絵本です。この間三方の石観世音さんにお参りに行った時に買いました。

本を買った時に、お寺(だよね?)の人に、「般若心経を知っている?唱えたことがある?」って聞かれました。

「般若心経は知らないし、唱えたこともない」って正直に言ったら、「え、そうやの?」ってちょっとだけビックリされて(一度も唱えたことないなんて・・の顔してたw)、本を買ったおまけに小さいお経の本をサービスでくれました。

良い人だ・・(←基本的にものをくれる人は良い人w)。
使わないかもしれないんだけどw

今まで私は般若心経って宗教の一派だと思ってました。
私のイメージでは、(特に年配のおばちゃんが)一心不乱に、なにかっつーと般若心経を唱えるという、あまり良くないイメージがあったのですw。

宗教について私が思っていることは、前にチラッとは書いたかも知れないけれど、また次の機会にまとめて書くことにします。今日は本の話w

この本を読んで良かったです。
般若心経というのは「宗教(頼りにするもの)」ではなく、「哲学(考え方のひとつ)」だったんだ!と何か発見した気持ちになりました。一心不乱なおばちゃん達は、頼っていたんじゃなくて、自分に言い聞かせていたんですね?(ということにしておこうw)
般若心経は、一口で言えば「空(くう)」の教えだと言われています。そして「空」とは「こだわるな」ということなのです。
「欲や執着心を捨てれば、苦しみや悲しみから心は解放される」と般若心経は説いているのです。
これを読んで、確かにお金や物、地位や名誉、生死や愛に執着しなければ、それらが得られない苦しみや、失う苦しみを味わうことはないと思いました。でも執着するからこそがんばれたり、苦しみを知ればこそ人は深みを増していくんじゃないかな、とも思い、少し悩む。

私のこの疑問は、この本を書いたにわぜんきゅうさんも感じていたようで、「欲や執着心を持つな」ではなく、「持ちすぎないように注意せよ」と解釈していると書いてあります。

私は愛する者(親と猫ですがw)を無くした時に、もう大事なものは作らないし要らないと思いました。大事なもの(人やペットや物や愛情)が消えていく、私を置いて去っていく時の何ともいえない絶望的な、ひとりぼっちな感じを、もう二度と味わいたくないと思ったのです。

でもですね、そうやって注意(?)していても、大事なものは出来てしまうんですよね(学習能力ゼロw)。大事なものの無い、大事なものを大事だと実感できない人生は、うっすい具の無いスープみたいなものです。神でも仏でも仙人でもない私は、それでは満足できない。しっかりダシの効いた具沢山のスープをごくごく飲みたいw

この本はそういう俗物な人のブレーキであり、神や仏や仙人を目指す人の入門書みたいなもんです。「ちょっと待って。それってホントにそんなにこだわるべきもの?」って思わせてくれる本です。お地蔵さんの絵も可愛らしくてとっつきやすいです。

般若心経に興味を持ったので、次はもうちょっとちゃんと説明されている本を読んでみようと思います。「声を出して覚える般若心経」という本は、一つ一つの言葉を解説してあるそうで、良さげだというのを教えてもらったので、早速注文しました。

最後にこの本で私が気に入った言葉。
十人十色 いろんな見方がある。
しかし、そのどれもが絶対でない。




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