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写真、短歌、日々の思ったこと。
2009年02月26日 (木) | 編集 |
その指に飾られているプラチナはかの有名な永遠ですか?


■題詠blog2009 「008:飾
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2009年02月26日 (木) | 編集 |
 「短歌の友人」
 穂村弘

 河出書房新社
 2007/12発行
 1995円
借りて読みました。
難しくて、読むのに時間が掛かってしまった。
買うには高すぎる!とは思うけど、内容、装丁共になかなかしっかりしたタフ本なので、「短歌を勉強する」という人には良いかも。
この本を読んで、私は短歌を、勉強したりテクを組み立てて詠むということが出来なくて、感覚的に詠んでいるだけだということがよ~く分かった。
私の中では穂村さんは、つかみどころのない歌を詠む人、という感じなのだけど、そこまで考慮して詠んでいたのか!とちょっと驚きでもあった。
やはりプロの歌人は、計算して短歌を詠んでいるのだ・・・って当たり前かw
そうでなければプロでなんていられないだろうと思う。

この本では、歌人に共通する能力として、「一回きりの生に対する感受性」が挙げられていた。
どういう手法で詠まれようと、どういう風にプロめいた、素人めいた短歌として詠まれていようと、歌人はその歌に隠された「一回きりの生」を嗅ぎ取ってしまい、この歌は良い、この歌はそうでもない、と評価をしている、というようなことが書かれていた。
これを読んで、私も大きく頷いた。
私は自分を歌人とは思っていなくて、ただ短歌を詠んでいる人だと思っているけれど、「一回きりの生」に対する感受性については無駄に敏感で、ヘタすると電波ちゃんなくらい過敏な気がしている。
「一回きりの生」を感じさせる歌は、秀歌に違いない。

昨日、「マンマ・ミーア!」の映画の感想を書いたけれど、あの映画にもそれを感じた。
私は、「一回きりの生」を感じるとき、ものすごく心が震える。
オリンピックで選手が素晴らしい演技をしたとき、声も出ないような景色にあったとき、誰かが私に幸せを感じさせてくれたとき、私は「一回きりの生」を感じて、喜び、恐れ、生きている幸せと切なさみたいなものが体じゅうにこみ上げてきてどうしようもなくなって涙が出てくる。

私にはそういう気持ちを、勉強した言葉を計算し、つなげて歌にすることができない。
ただ、そういう気持ちのときにそれを詠んだり文章にしたりするだけ。
穂村さんは歌に「一回きりの生」を詠んだり読んだりできるかどうかが、歌人かそうでない人の違いだ、と書いていた。
私はそれに加えて一つ、プロの歌人と素人歌人の違いを見つけた。
プロは勉強したことを組み立ててそれを詠める人であり、素人はそれを感じたときに秀歌を詠む人だと思う。
枡野さんが「素人でも秀歌を詠むことがある」と言っていたのは、こういうことだと思う。


■本の中で紹介されていて、気になった歌と歌人
水ぎははいかなるものぞ小次郎も武蔵にやぶれたりし水ぎは 馬場あき子
柚子もぎてゆきし人あり冬の夜の道を匂ひてゆきしを思う 馬場あき子
ぽんかんを頭の上にのせてみるすつかり疲れてしまつた今日は 小島ゆかり