写真、短歌、日々の思ったこと。
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2011年01月31日 (月) | 編集 |
さて、1月も早いもので今日で終わりです。
そろそろ今年の目標でも発表しときますかー。

1.日~木曜は早寝早起き(就寝は2時までに、起床は7時30分くらいで)

2.題詠blog2011を期限までに完走

3.英語、または中国語の勉強を1日30分やる

4.放送大学の単位を20単位取る

5.新規事業の具体的計画を立て、新たにそれ用にお金を貯める

6.DIYの腕をみがく
 (ウッドデッキ、パーゴラ、ゲートを組み立てる)

以上。
書いといてなんだけど、たぶん全部は無理www
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2011年01月31日 (月) | 編集 |
IMGP1311.jpg今日のメインは寒ブリだっ!



2011年01月29日 (土) | 編集 |
moblog_82a.jpgサーティワンの。
ティーアンドスコーンおいし~♪
31日にもっかい食べる!w


2011年01月28日 (金) | 編集 |
IMGP1304.jpg今日はトンカツ弁当。
昨日、3日目のカレーをカツカレーにしたからw
やっとカレーから解放された~。

大量に作ったほうが良いからね
      三日目カレー解放記念日

ふ~・・・
今日の夕ごはんは、和にしよう。

2011年01月27日 (木) | 編集 |
はじめてのことをいっぱいきみとしたはじめての島はじまりの島


■題詠blog2010 「069:島

2011年01月27日 (木) | 編集 |
ほんとうに怒った顔を知らないで「大好き」なんて言うべきじゃない


■題詠blog2010 「068:怒
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2011年01月27日 (木) | 編集 |
IMGP1302.jpgお弁当はいつも夕ごはんの残りがメイン。
前に作って冷凍してあった肉団子を、夕ごはんでカレーに入れる時に3個だけお弁当用によけておきました。
お正月の黒豆が未だに余ってて、コツコツ消費しています><


2011年01月25日 (火) | 編集 |
第15回、王朝の光と闇-『大鏡』と『今昔物語集』。

歴史物語は『栄華物語』、その次が『大鏡』。
どちらも藤原道長が中心となっているけど、『栄華物語』は後宮中心の宮廷史で、『大鏡』は道長の権勢の実体とその由来を説き明かすものとなっている。
『栄華物語』は「編年体」という歴史の流れに沿って書かれていたのに対し、『大鏡』は紀伝体という人物中心の書き方をしている。
中国の物語は紀伝体で書かれていることが多いので、これも中国の影響かもしれない。

『今昔物語集』は院政期に成立した説話集。
なんだかちょっと怖い話もたくさん載っているみたい。
編集された時代が、ちょうど平安後期の武士が力を持ち出し、世の中の秩序や価値観が変動する時期だったためか、それまでの文学がまったく顧みることのなかった反秩序的な話も盛り込まれている。

何かあやしい、この混沌とした気持ち悪い感じ。
なんかで読んだことあるかもって思ったら、やはり芥川龍之介だった。
芥川龍之介は『今昔物語集』を参考に執筆していたと思われるらしい。

多田先生は『今昔物語集』のことを、「当時の世界観からすれば全世界的な規模をもつ作品で、収録話数がぼう大であること、内容が多彩であること、文学的達成度が高いことのいずれを見ても、日本文学史上、最大・最高の説話集ということが出来る」、とまで言っている。
でも、なんかちょっと気色悪い感じがして読みたいと思わないかも・・・

ていうかそういえば確か、前に会ったときlepさんが図書館で借りたとかいう分厚い今昔物語集を読んでいた気がする・・・。
あれは確か二人で当時流行っていたメイド喫茶wへ行った時だったっけ。
メイド喫茶で今昔物語集ww
あの時はじめてあの雑居ビルのエレベーターの中で、耳かき喫茶のチラシを見たんだよねー。
なつかしーなー、lepさん元気なんだろうか?

てことで、全15回試聴終了~。
私のこのメモだか感想だか何だか分からない古典の授業の記事、読んでた人いるのかなw
もしいるなら、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました

2011年01月24日 (月) | 編集 |
第14章、『源氏物語』の世界(2)。

第二部以降の物語は、事の顛末をすべて知る語り手が状況をくまなく語る、ということを避け、登場人物たちの会話のみといったことが多くなる。
その点について教科書にはこう載っている。
登場人物の不透明感は増すけれど、現実の人間関係のありかたにずっと近づいたといえる。
私たちは他者を完全に理解することなどありえない。
私たちの他者理解は、常に誤解をはらんでいる。
そのことを、第二部以降の物語は、物語を織り成してゆく意図的な方法にまで高めているのである。
そう、現実はそうかも確かに。
ていうか他者どころか自分自身でさえも、完全に理解することなんて出来るんだろうかって思うw・・・は置いといて。

こういった会話のみで構成されるという方法によって、演劇用語でいうドラマティック・アイロニーが意図的に多用されている。
ドラマティック・アイロニーっていうのは、ある事情が観客には了解されているのに、登場人物たちには分かっていないことから一種皮肉な感じを生む手法。

光源氏のいない部屋で一人眠れずに夜を明かし、一番鶏の鳴く声を聞いた紫の上と、女三の宮のもとで紫の上を思い眠れずに一番鶏の鳴く声を聞いた光源氏。
読者は二人が同じ一番鶏の声を聞いたことを知っているけれど、当の本人たちは知らない。
こういうのをドラマティック・アイロニーというのだそう。
読者にしてみれば、あああ~><ってなるなこれは。

それにしても、漢文学をもとにしているとはいえ、日本語が出来てからすぐにこんな手法を見事に自分のものとして物語を作った紫式部ってすごいなあって思う。
きっとものすごい妄想家だったんだろうなあって思う。
妄想家式部流の家元やなw

第13章、14章で源氏物語について少し分かって、読んでみたい、でも怖い・・・という気持ちになった。
先生が、「いったいこの物語は、何と深ぶかと、人と人の心の通い合いを希求する思念に貫かれた物語であることか。」と書いているように、胸が痛くなるようなシチュエーションがいっぱい出てくる。
私は物語に深~く入り込んでしまう体質なので、体力のある時に読まないともたないかも><

2011年01月24日 (月) | 編集 |
第13章、『源氏物語』の世界(1)。

ついに来た、『源氏物語』。
全五十四帖あって、大きく三部に分けることができる。
一部は第一帖~三十三帖まで、二部は第三十四帖~四十一帖まで、三部は第四十二帖~五十四帖まで。

源氏物語って、読んでみたいと思いつつまだちゃんと読んだことがない。
時代の背景とか考え方とかを分かって読んだほうが楽しめるんじゃないかなって思っていたのだけど、この章と次章でかなりいろんなことを勉強できそう。
んー、でもきっとこんなに有名で多くの人に読み続けられている物語なんだから、何も知らなくても面白く読めるのかもしれないな。
今度の試験が終わったら、まず伊勢物語を読んで、それから源氏物語を読んでみたいと思う。

ていうか藤原先生、源氏物語をべた褒めw
ていうか藤原先生、光源氏が継母の藤壺とはじめて密通する場面の説明の時、力入りすぎww
でも藤原先生、そのおかげで私は源氏物語を深く知りたくなりました!
で、その逢瀬の時に二人が交わした歌↓
(光)見てもまた逢う夜(おうよ)まれなる夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな

(藤)世語りに人や伝へむたぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても

<現代語訳>
(光)また逢うこともむつかしいのだから、いっそこのまま今宵の夢にまぎれ入ってしまいたい

(藤)こんな苦しみを抱え込んでしまったわが身を、たとえ自分では醒めることのない夢だと思ってみても、事実起こってしまったことはもう取り消すことはできず、いつか世間にもれて、世語りになりはしないでしょうか
恋しさ極まって先生いわく、絶唱wの短歌を詠んだ光源氏に対し、藤壺の君は冷静。
ちなみに「もがな」は願望の助詞で、「もがな」を使った短歌には名歌が多く、光源氏のこの短歌は中性の歌人に非常に好まれて、本歌取りされることが多かったそう。

この章の説明を聴いていると、『源氏物語』には何か哲学のようなものがあるように感じる。
それは物語の地盤となっているのが漢文学で、儒教の考え方が融けこんでいるからかも。
光源氏が子息の夕霧に漢文学を勉強させるエピソードで、「高貴な身分の子息は何もしなくても高い位につけるのにそんなことしなくても・・・」って言った夕霧の祖母に対し、光源氏はその理由をこう説明する。

「何の苦労もなく高い位につけるような者はちやほやされているうち、何もないのに自分が大した者でもあるかのように勘違いしてしまい、その後ろ盾となる親が亡くなるとかすると途端に失墜してしまう。漢文学の教養を根本にしていてこそ、大和魂も世間から重んじられるものとなるのでしょう」
ゆるぎないものを一つ自分の中に持つっていうの、確かに大事だなって思う。

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