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写真、短歌、日々の思ったこと。
2011年01月18日 (火) | 編集 |
第3章、『万葉集』の世界(1)。

和歌=短歌というイメージなので、長歌があることをすっかり忘れていました。
だけどそんな風に忘れ去られてしまうには、理由があったようです。

長歌の限界は、景の表現を追求していくと、散文に近くなってゆくというところ。
人が長歌にこだわる理由っていうのも特に見当たらなかったのかな、じゃあ、散文でいーやんwってことになってしまう気持はよく分かります。

そんで、短歌。

片歌問答(かたうたもんどう)=神の言葉(謎)+その解釈(解答)
   ↓
旋頭歌(せどうか)=5・7・7(状況の呈示)+5・7・7(その説明や解説)
   ↓
短歌=5・7・7(景)+7・7(心)

というふうに変化して出来たらしい。
景に比喩をバーンと入れたり、こっそり(でも見つけられるように☆)入れたりする。
ふう~ん。
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2011年01月18日 (火) | 編集 |
第2章、フルコトの世界-『古事記』とその周辺。

フルコトというのは、共同体の語りべによって語られた聖なる詞章(ししょう)、伝承のことをいうのだそう。
なーんか難しい説明だけど、要するに、言霊をもった力のある言葉ってことかなあ。
そのフルコトを文字として残そうとしたのが、古事記や日本書紀であった・・・かもしれないらしいw

古事記(こじき)は、訓読みで読むとフルコトブミと読むらしく、どうやらフルコトを集めたもののようです。
私は読んだことはないのだけど、どうも教科書に出てくるものを読むと、内容は神話っぽいもののようです。
神話を現実にこじつけているというか、天皇を神とすることの正当性をどうにかして示そうとしているというか、そういう物語の中に、ありがたい言葉であるフルコトがちりばめられている・・・そんな感じなのかな。
あんまり興味ないかも。(←ミもフタもない)

興味を持ったのは、語り言葉であったフルコトを文字にしていく過程のこと。
当時の話し言葉は大和言葉?という日本語で、書き言葉は漢文、つまり中国語。
話し言葉を文字にする時に、音と意味がちぐはぐになってしまうことが多々あったらしいのです。

口に出すときの「音」が大切なフルコトを文字で示すには、意味よりも音を優先することが多かったそうですが、そうすると意味がちょっとアレやな~・・・って感じになることがあったそうです。
んー、例えば、夜露死苦みたいな?ww
いや、これはこれで上手くいってるとも言えますがw、本来の「よろしく」ではなく、別の意味入っちゃってるよ!っていう、そんな感じ。
今の日本語になるまで、昔の人はずいぶん苦労したんだなあって思ったのでした。

そう考えると今の時代でも、日本語を英語にするとか、外国語で示された気持ちを日本人の私が感じるとか、そういうこともなんて不確かなことなんだろうって思うのです。
ていうか、日本人同士であっても、自分の思っていることを相手に100%伝えることはものすごく難しいことかも。

私はすぐに相手の気持ちを全部分かりたい、自分の気持ちを全部伝えたいって思ってしまうんだけど、意思の疎通っていうのは、日本人同士なら80%伝わればパーフェクト、外国人となら60~70%伝わったらよくやった!って思っとくくらいが良いのかもしれないなーなんて思いました。
フルコトや古事記の勉強とは関係なくなってますけどねw