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写真、短歌、日々の思ったこと。
2011年01月24日 (月) | 編集 |
第14章、『源氏物語』の世界(2)。

第二部以降の物語は、事の顛末をすべて知る語り手が状況をくまなく語る、ということを避け、登場人物たちの会話のみといったことが多くなる。
その点について教科書にはこう載っている。
登場人物の不透明感は増すけれど、現実の人間関係のありかたにずっと近づいたといえる。
私たちは他者を完全に理解することなどありえない。
私たちの他者理解は、常に誤解をはらんでいる。
そのことを、第二部以降の物語は、物語を織り成してゆく意図的な方法にまで高めているのである。
そう、現実はそうかも確かに。
ていうか他者どころか自分自身でさえも、完全に理解することなんて出来るんだろうかって思うw・・・は置いといて。

こういった会話のみで構成されるという方法によって、演劇用語でいうドラマティック・アイロニーが意図的に多用されている。
ドラマティック・アイロニーっていうのは、ある事情が観客には了解されているのに、登場人物たちには分かっていないことから一種皮肉な感じを生む手法。

光源氏のいない部屋で一人眠れずに夜を明かし、一番鶏の鳴く声を聞いた紫の上と、女三の宮のもとで紫の上を思い眠れずに一番鶏の鳴く声を聞いた光源氏。
読者は二人が同じ一番鶏の声を聞いたことを知っているけれど、当の本人たちは知らない。
こういうのをドラマティック・アイロニーというのだそう。
読者にしてみれば、あああ~><ってなるなこれは。

それにしても、漢文学をもとにしているとはいえ、日本語が出来てからすぐにこんな手法を見事に自分のものとして物語を作った紫式部ってすごいなあって思う。
きっとものすごい妄想家だったんだろうなあって思う。
妄想家式部流の家元やなw

第13章、14章で源氏物語について少し分かって、読んでみたい、でも怖い・・・という気持ちになった。
先生が、「いったいこの物語は、何と深ぶかと、人と人の心の通い合いを希求する思念に貫かれた物語であることか。」と書いているように、胸が痛くなるようなシチュエーションがいっぱい出てくる。
私は物語に深~く入り込んでしまう体質なので、体力のある時に読まないともたないかも><
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2011年01月24日 (月) | 編集 |
第13章、『源氏物語』の世界(1)。

ついに来た、『源氏物語』。
全五十四帖あって、大きく三部に分けることができる。
一部は第一帖~三十三帖まで、二部は第三十四帖~四十一帖まで、三部は第四十二帖~五十四帖まで。

源氏物語って、読んでみたいと思いつつまだちゃんと読んだことがない。
時代の背景とか考え方とかを分かって読んだほうが楽しめるんじゃないかなって思っていたのだけど、この章と次章でかなりいろんなことを勉強できそう。
んー、でもきっとこんなに有名で多くの人に読み続けられている物語なんだから、何も知らなくても面白く読めるのかもしれないな。
今度の試験が終わったら、まず伊勢物語を読んで、それから源氏物語を読んでみたいと思う。

ていうか藤原先生、源氏物語をべた褒めw
ていうか藤原先生、光源氏が継母の藤壺とはじめて密通する場面の説明の時、力入りすぎww
でも藤原先生、そのおかげで私は源氏物語を深く知りたくなりました!
で、その逢瀬の時に二人が交わした歌↓
(光)見てもまた逢う夜(おうよ)まれなる夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな

(藤)世語りに人や伝へむたぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても

<現代語訳>
(光)また逢うこともむつかしいのだから、いっそこのまま今宵の夢にまぎれ入ってしまいたい

(藤)こんな苦しみを抱え込んでしまったわが身を、たとえ自分では醒めることのない夢だと思ってみても、事実起こってしまったことはもう取り消すことはできず、いつか世間にもれて、世語りになりはしないでしょうか
恋しさ極まって先生いわく、絶唱wの短歌を詠んだ光源氏に対し、藤壺の君は冷静。
ちなみに「もがな」は願望の助詞で、「もがな」を使った短歌には名歌が多く、光源氏のこの短歌は中性の歌人に非常に好まれて、本歌取りされることが多かったそう。

この章の説明を聴いていると、『源氏物語』には何か哲学のようなものがあるように感じる。
それは物語の地盤となっているのが漢文学で、儒教の考え方が融けこんでいるからかも。
光源氏が子息の夕霧に漢文学を勉強させるエピソードで、「高貴な身分の子息は何もしなくても高い位につけるのにそんなことしなくても・・・」って言った夕霧の祖母に対し、光源氏はその理由をこう説明する。

「何の苦労もなく高い位につけるような者はちやほやされているうち、何もないのに自分が大した者でもあるかのように勘違いしてしまい、その後ろ盾となる親が亡くなるとかすると途端に失墜してしまう。漢文学の教養を根本にしていてこそ、大和魂も世間から重んじられるものとなるのでしょう」
ゆるぎないものを一つ自分の中に持つっていうの、確かに大事だなって思う。

2011年01月24日 (月) | 編集 |
第12章、王朝漢文学の熟成。

和歌が再熱した平安初期の承和朝以降も、漢詩はなくなったわけではなかった。
作風としてはそれまでの現実離れしたものから、身近なものを題材にして詠まれることが多くなり、漢詩文はより日本的な漢文になっていった。

その頃、日本人に好まれた文型に、隔句対(かっくつい)がある。
『平家物語』の有名な冒頭の文章が隔句対になっている。
祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹(さらさうじゅ)の花の色、盛者必衰の断りをあらはす。
奢れる人も久しからず、唯だ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、偏(ひと)へに風の前の塵に同じ。
赤色の一句と三句、青色の五句と七句がそれぞれ対になっているのだけど、対句の間に一句ずつ入っていて隔てられているので隔句対というのだそう。
その頃、日本人に好まれた・・って書いたけど、こういう対句の流れ、今でもよく耳にする気がします。
隔句対は詠嘆調って先生も言ってたけど、確かになんかこう、気分を盛り上げるというか、訴えかけるというか、そういう場合に効果的な気がする。

当時、女性が漢文を読むことははしたないこととされていた(お経も漢文なので×)のだけど、紫式部や清少納言など、いわゆる働く女性にしてみれば、なんでやねん!って感じだったらしく、こっそりと読んでいたのだそう。
源氏物語にもその影響がいろんな箇所でみられるらしい。
漢詩文、和歌、散文のそれぞれがそれぞれに影響を与えながら、日本語としての表現の幅を広げていったんだなあって改めて思った。

漢詩文の授業で、白居易(はくきょい)っていう人がよく出てくる。
当時の日本人にすごく読まれていて、古典に多大な影響を及ぼしたらしいんだけど、古語とか漢文とかよく分かってない私でも読める易しい本ってあるのかな。
ちょっと興味ある。