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写真、短歌、日々の思ったこと。
2012年07月25日 (水) | 編集 |
第3章 「過ぎ去りつつ残るもの」と「気づかれない予感」

各自に直接与えられている「感じ」や「考えの仕組み」を、各自の内面にどのように与えられているかを、はっきりさせようとするのが現象学。
視角、聴覚、触覚、運動感覚などの感覚において、無意識と意識している時(変化を感じる前後)の時の流れの仕組みについての説明が丁寧にされていて、ほほう、と思った。

次の4つのキーワードについて、今回も、じっくり(ねっとりw)説明。
○感覚の変化と時の経過
○仮現運動
気づかない以前が残ること、過去把持(かこはじ)
気づかずに予感する、未来予持(みらいよじ)

過去把持とは
「サクラ」という音のつながりを聞くとき、「サ」の次に「ク」を聞いたときにはもう、前の「サ」の音は聞こえていない。
「サ」を「ク」の前に、「ク」を「ラ」の前にそのまま記憶に留めておくのを過去把持という。

「つるつる」か「凹凸」かで言えば、最初の「つる」が残って次の「つる」がきて、つるつるだと思い、最初に「凹」がきてその感覚を保持したまま「凸」が来れば凹凸だと思う。

未来予持とは
ある状態を意識にのぼらせることなく予感していること
歩いていて何かにつまづいて転んだ時、歩いている時に「地面の平坦さとその硬さ」を無意識に予感していたことになる
転べたのは、意識にのぼっていない予測があって、体重をその足元にかけたから。

本を読んでいて停電になったとき、気に留めていなかった電球の明るさと停電の暗さに気づく。
電球の明るさは無意識に、過去把持されていて、未来予持されていた。

仮現運動とは
パラパラ漫画や、左右の小さな電球を別々に点滅させると、ある速さから左から右へ光が動いているように見える現象などのことを、仮に運動として現れているという意味で仮現運動という

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哲学から他の学問が次々に分かれていった・・・っていうの、なんとなく理解できる。
今回の過去把持や未来予持、それから仮現運動についての不思議を解明していくのが、脳科学とか医学、心理学なんかになるのかな。
教科書に、「今述べたことは、単なる理屈、悪く言えば、屁理屈、言葉の綾、言葉をひねくり回している哲学屋の戯言、かっこよく言えば、形のないものをめぐる『形而上学的思弁』と批判する方がいらっしゃるかもしれません」と書いてあったのが笑えたw
やっぱりそういう風に言われること、多いんだろうなあwww

言われてみればー、そういえばよく考えてみるとー、だけど別にそんな深く考えなくても?・・みたいなことだもんね、哲学って。
でも、何でも考えることから始まるからね。
こういうことを考えるのも、無駄ではないと思う。
時間があればw
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2012年07月25日 (水) | 編集 |
第2章 「ただただ感じること」と「自分の感覚」,そして知覚

言葉で感覚を伝えるのって、ほんと難しいなって思います。
授業を聴いても、本を読んでも、なんとなく感覚的に、先生の言いたいことがわかるような、わからないような(笑)

○ブーバーが11才の頃の体験
馬のたてがみをなでていたとき、最初は馬と触れ合っていると感じることが出来た
馬も自分が撫でるごとに頭をゆったりもたげながら応じてくれて、ブーバー曰く「お互いに汝として触れ合い、語り合っていた」んだそうな。
ところがある時ふと、「これってなんて面白いんだろう」と思い、自分の手を感じた
その後、同じように馬のたてがみを撫でても、もう触れ合うということは生じず、馬も応えてくれなくなった
ブーバーは、自分の馬に対する裏切りが裁かれた、と思った。
○ヘリゲルと赤子の手の体験
ヘリゲルが弓の名手に学んでいた時、「赤子の手のように、石榴の実が弾けるように矢を放て」と言われた
ヘリゲルは「私は赤子ではなく、弓をいるのは的に当てるために私が矢を放つのであり、この考えから離れることができない」と答えた
だがその後、呼吸の練習をし、「私が矢を放つ私の手」から解放され、呼吸に集中したままで矢を放つことができる、無我の弓が実現した
ヘリゲル曰く「私が自分で呼吸しているのか、呼吸に呼吸されているのかわからない」状態だそう
私の記憶が確かならば、これって純粋経験とそうでないものの区別についての話だよね?
教科書では「触れ合う感じ方」と「自己意識と伴う感じ方」と書いてある。

○意識の明証性
自分がその都度、直接感じ、考えていることそのものの確実さのこと
夢であろうと現実であろうと錯覚であろうと、その都度感じている「痛み」や「快感」は疑うことができない
”われ思うゆえにわれ有り”

○意識作用と意識内容の相関関係
「探すこと」&「探すモノや人」、「見ること」&「見えるモノ、人」がセットになっているということ
探している人に近寄って「遅かったね」と言うことはできず、見えた人に言える
見えているのになお探していると「誰を探してるの?」と見えた人に言われてしまう
動詞で言い表される行為を意識作用行為の対象(目的語)の内容を意識内容と呼ぶ

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その人の痛みを、共感して自分の痛みのように感じているのか、想像しているのか。
むぎちゃんを撫でている時、むぎちゃんの表情を見ながら自分も喜びを感じているのか、むぎちゃんの毛ふわふわやな~と気持ちよがっているのか。
後になって思い返してみて、初めてその違いに気づく。
その時に気づくことはできない。
先生の言ってること、そういうことだよね?

「ただ感じること」、「触れ合う感じ方」、「純粋経験」・・・は、とても貴重な経験だと思います。
走っているとき、山に登っているとき、スキーをしているとき、夢中で話しているとき、ふと気がつくと「あの状態」に入っていた時の幸福感はかけがえのないものだなあって思うのです。