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写真、短歌、日々の思ったこと。
2012年07月26日 (木) | 編集 |
第5章 身体をめぐる脳科学と現象学、因果と志向性

※キーワード
○触れる身体と触れられる身体
○随意運動と不随意運動
○「遠心コピー」と未来予持
○何かに向けられた志向性
○脳科学と現象学の方法
○因果関係

自分で自分をくすぐるのと、人にくすぐられるのとでは、くすぐったさが違うことについて

~現象学では~
自分でくすぐる場合には、過去の経験からくすぐることがどういうことかが未来予持によって予測されていて、それにピッタリな感じが予測通り与えられるからくすぐったくなく、他人にくすぐられる場合にくすぐったいのは予測が立っていないからだそう。

~脳科学では~
遠心コピーとしての予測が、実際に与えられる感覚入力よりも早く感覚受容領域に待ち構えていて、くすぐったいという感覚入力を抑制するか打ち消すので、世界が安定し、くすぐったくない。

○何かに向けられた志向性
受動的志向性としての未来予持とは
気づかずに、無意識にしていた未来予持、何であるかを意識しない未来予持のこと

能動的指向性としての未来予持とは
これが何であるか?という時のように、意識して知覚する時の未来予持のこと

受動的運動感覚とは
意図せずに自然に本能的に起こってしまっている運動感覚のこと

能動的運動感覚とは
動かそうという能動的な運動の際に感じる身体が動く運動感覚のこと


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んー・・・
先生は、現象学でいう未来予持による予測と、脳科学でいう遠心コピーによる打ち消しとが違うというけれど、私には同じとまではいかなくても似たようなものと思える。
それに、他人にくすぐられる場合も、他人にくすぐられるとはどういう感じか過去の経験から分かっているから、未来予持できそうなものだと思う。
これは教科書の例がイマイチだったんじゃないかなあ?
理解しづらい。

「脳科学では、因果関係、客観的時間軸で説明をする」
「現象学は、因果関係で説明をしないで、自分に与えられている意識現象に注目する」

虫歯の詰め物がとれた時、舌で触って感じる穴の大きさと、実際鏡で見る穴の大きさについて、脳科学では、これくらいの大きさであればこれくらいの詰め物が必要といった客観的ものの見方をするのに対し、現象学では舌で触った穴の感じや大きさの感覚に注目する、無意識に舌で触っている時と、意識して穴の大きさを確かめるために触っている時の感覚の違いの話をしてるってことかなあ?

やーやーこーしーいー!

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2012年07月26日 (木) | 編集 |
第4章 「出会いのとき」から生まれる心の時間と時計の時間

難解、難解、難解ー!!!
挫折しそうです、先生!!!

先生が急に、「頭の中の日干しは、カルシウムを含んだ骨でさえなくなった、抽象化された日干しです!食べられない日干しですっ!」と言ったり、瞬間瞬間の積み重ねを説明して「汚れちまった悲しみにぃ・・」と中原中也の詩を読み出した時には、「え・・(汗)」と少し引いてしまいました、ごめんなさいw

※キーワード
○主観的時間(個人個人が別々に各自の諸感覚を流れる時間)
○客観的時間
○出会いのときと場所
○感覚と知覚の違い
○瞬時という幻想
○ゼノンのパラドックス(逆説)

○主観的時間とは
個人個人が別々に各自の諸感覚を流れる時間のこと

○客観的時間とは
時計で測る時間、カレンダーの時間、天文学や物理学で説明されている時間のこと

○出会いのときと場所
Q:主観的時間と客観的時間のどちらが本物か?

~ブーバーくんの答え~
「本物は、客観的ではない、また主観的でもない、出会いのときだ」
「祈りが時間の中にあるのではなく、時間が祈りの中にあり、
犠牲が空間の中にあるのではなく、空間が犠牲の中にあるように、
そしてこの対応を逆にすれば事柄の現実性が消去されてしまうのと同様に、
私が汝と呼びかける人間に、私はいつかある時、
どこかある場所において対面するのではない」

要するに、時を忘れて真剣に祈る時に本当の時間が生まれ
どこで行っているのか忘れるくらい一心に犠牲を捧げる時に
その人が生きる本当の空間が現れる・・・ってことらしい。

~ハイデガーくんの答え~
「訪れることになる未来の死に向けて自分の生き様を決めろ」
”いつかは死ぬ自分”という見方から、本物の”本来的な時間”を考えようとする

~フッサールくんの答え~
他の人と共に体感できる、人と人とのあいだを流れ、人と人とを結びつける
「共感の時間」(出会い)から、主観的時間と客観的時間が出来上がってくる

○感覚と知覚の違い
感じ分けるのが感覚(チクチクする、柔らかい、など)
何であるか分かるのが知覚(たわし、猫の毛、など)

○瞬時という幻想
時間は瞬間瞬間の積み重ねである
時を止めることは、頭の中だけでできること
頭の中のものは、抽象化された、時を無視した点と線と面であり、現実にはない

○ゼノンのパラドックス(逆説)
AとBの間を飛んでいる矢は、AとBの間の無限数の点の集まりを飛ぶことができるはずがないので、飛んでいないという説
点が見えるはずないのと同様に、飛べるはずがない

現象学は、意識に明証的に与えられていることを出発点にしているので、
飛んでいる矢も、実際に動いていない光の点が動いているように見える仮現運動も、
自分に直接意識されている明証性を持つとされる

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結局、この難解な授業が言いたいのは・・・

夢中になってる時(出会っている時)は時間も空間も意識されていなくて、その(出会いの)後、ふと気がついた時に、自分がどこにいてどのくらい時間が経ったのかがわかる、ってことなんやろか・・・?

にしてもブーバーくん、ハイデガーくん、フッサールくんは熱いのう。
友だちじゃなくて良かったw
この暑いさなか、哲学的に絡まれたら暑苦しくてかなわんからなあ。
哲学は秋から春までの季節ものって気がするわ(笑)