写真、短歌、日々の思ったこと。
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2010年07月30日 (金) | 編集 |
P1150788.jpg来週、親戚の人が母のお墓参りをしたいと言ってきたので、今日はお墓の掃除をしてきました。
親戚と言ってもゲストみたいな親戚で、掃除とかさせられないので、今日やっといた。

「しきみ」という葉っぱは買うのですが、花は庭や畑のを持っていきます。
この時期咲く花が少ないので、今日のはちょっと傷んでたけど・・・まあ良いやw
もっと夏に咲く花を作らないと。

(続きは、若干愚痴も入ってる長い長い文ですごめんw)
今日、お墓で考えていたことはこんなこと↓

そういえばこの間、今度来る親戚とは別の親戚のおじさんが、話があると言ってうちに来ました。
母のお墓はいちおう長男である弟が継いでいるかたちになっているのですが、弟がお寺に1年に1度支払うお金を払っていないし、奉仕作業にも1度も顔を出さないという話でした。
それと、母のお墓の周りだけが草ぼーぼーで、1年のお金を払っていないから、奉仕作業の時にそこだけ残されてしまうんじゃないか?とも言われました。
おじさんが何年もうちに来るなんてなかったのに、わざわざその話だけをしに来たということは、暗に私にお寺のつきあいをしろということなんだろうな、と思いました。

母が亡くなった時、私は弟には絶対お墓や仏さんの管理ができないから、私が継ぐと親戚の人に言いました。
弟は「お母さんは特別な人や」と言いつつ、早々に母の看病を放棄した人間なので、私にはそんな弟を信じることが出来なかったのです。
だけど母が亡くなったら戻ってきた弟は、自分は長男だから責任を取るというようなことを気分で親戚の前で言うのです。
親戚の人は、長男がいるんだし、本人がやるって言っているんだからと弟に全てを継がせました。

仕方ないので、弟が世間のしがらみとやらに慣れるまでしばらく私がサポートして・・と思い、数々の法事をこなしていきましたが、気がつけば思ったとおり、面倒なことはすべて私がやっている状態になりました。
弟が積極的になったのは新しい仏壇を選ぶ時、建てるお墓を選ぶ時くらいなものでした。

若い世代の人に教えを広めたいお寺さんが、私たちにお寺の勉強会みたいなのに参加して欲しいと言ってきた時も、弟が行きますというので私も行くことになったのに、全10回ほどある勉強会のうち、弟が参加したのは1回だけでした。
もーーー!だったら行くって言うな!
責任を取るとか長男だからとかカッコだけつけるな!・・・って感じ。
もちろん私は10回ちゃんと参加しました。
行って勉強して、無神論者になってしまいました・・・。

そんなこんなの事情をすべて知っているはずのおじさんが、私にお寺のつきあいをしていけと言うのが納得いきません。
ハッキリそう言うのではなく、暗に言ってくるところも気持ち悪くて、「おじちゃんは私に代わりにお寺のことをやって欲しいんだろうけど、それはしない」とハッキリ言ってしまいました。

私がいつまでも手伝って、というか全てやっていたのでは、弟はいつまで経ってもやらなければいけないことが出来ない人間のままのような気がします。
このままなし崩しに私がお寺のことをやってしまうと、実質私が全部やっているのに、周りから見ると弟がやっているように見えるので、弟は人から「若いのに偉いなあ」と褒められます。
私が褒められず弟が褒められることが気に入らないのではなく、弟がいい気になって「自分はできている」と思ってしまうことが怖いのです。
これまで何度これで失敗したことか・・・。

時々は私もお墓参りをするので、その時には掃除もするしお花も供えたりするけど、私がお寺の付き合いを全部していくというのはちょっと違う。
私がお寺のつきあいをするのは、弟がちゃんと「自分にはできない」と認め、「お姉ちゃんに任せる」と言ってからだということをおじさんに伝えると、おじさんはちょっと不満そうでした。

「お母さんのお墓の周りだけが草ボーボーだとお母さんが悲しむし、他の人も可哀想がるで」とも言われましたが、すっかり無神論者になってしまっている私が、「骨は悲しい気持ちにならんよ。あーあって思うのは生きてる人だけ、掃除するのも生きてる人のためやと思ってる。例えばお寺の役員のおじちゃんが恥をかかないように。」と言うと、それ以上何も言わずに(でも不満そうにw)帰っていきました。
期待に応えられなくてごめんなさい。
自分でも、可愛くないなあとは思うw

今日、お墓に行くと、確かに母のお墓の周りは草ボーボーでした。
が、他にもそれぞれのお墓の敷地ではない、通路の草も割とボーボーになっていたので、みんな自分のお墓の敷地だけきれいにしていくんだろうなって感じでした。
母のお墓の周りの草、通路のジャマになる草、それからおじちゃんちのお墓(←私の祖父母入り)の周りの大きくなってる草だけをとりました。
母のお墓とおじちゃんちのお墓の枯れた花を捨てて、持っていった花を供えました。
母にいっぱい飾りたいから、おじいちゃんおばあちゃんにはちょっとだけになってしまった。
やっぱりもっとお花が要るなあ。

そうやって作業しながら思ったことは、やっぱり死んだ人は何も思ってないってことでした。
きれいになったお墓を見て母が喜んでいるように感じるのは、生きている私の心です。

死んだ人が喜んでいるように感じる気持ちはとても尊いと思う。
近所のおばあちゃんたちが、お地蔵さんの前掛けを作ったり、お花を供えているその気持ちとかも、とても尊くてじーんとなる。
それは大切にしなければならないと思うけど、でもそれが生きている人の負担になるくらいなら、しなくて良いと思う。
おじさんは「お母さんのお墓の周りだけが草ボーボーだとお母さんが悲しむ」とか言ってわたしを責めるべきではないし、私も、そんなこと言っておじさんちのお墓だって今、草ボーボーやでwなんて言う必要もない(笑)

生きている人は生きてるだけでしなければならないことが結構あるので、出来るだけこだわりを捨てて、しなくて良いことを意識して削っていくほうが良いと思うのです。
他の人の気持ちも大事にしつつ、難しくて面倒くさいけど、気が向いたときにバランスよくやって行けばよいかな。

来年の1月1日は母の命日、13回忌。
久しぶりに親戚みんなが集まるのも良いなって思うから、12月に法事して、ごはんを一緒に食べようと思ってます。
蟹も解禁されてるし、蟹づくしが良いかな(笑)
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コメント
この記事へのコメント
親戚づきあいは難しいよね
う~ん、うちも数年前に愛媛の御墓を実家の近所のお寺さんに移動するときに色々あったから、なんとなくわかる気がします。

>行って勉強して、無神論者になってしまいました・・・。

わかる!私は子供のころから毎年3-4回はうちに院主さんがやってきたり、こちらから出向いたりしていて、そのたびに遅刻してきて、そんな人からお説教されたところで…と冷めた目でみていて、10分お経読んだだけで何万円もお布施もらってるしね。
嬉しそうにうちが用意したおみやげのブランデーなどのお酒を持って帰って、ヅカ生出身の奥さんもらって…何の制約も無く、なにが説教や!っていつも思ってました。 うちの父や親戚たちはいっさいそんなこと言わなくて、丁寧にうやうやしく接してたけれど。
父が亡くなった時、「私はお葬式もお経もこんな面倒なものいらない。死んだらキレイな海に遺灰を撒いてくれるだけでいい」っていったら、「なんであんたが先に死ぬの!?」って言われました。f(^^;)

>「おじちゃんは私に代わりにお寺のことをやって欲しいんだろうけど、それはしない」とハッキリ言ってしまいました。

そんなのハイハイって適当にいっておけばいいのに、のーさん正直なんだから… でもちゃんとその後お墓の掃除にいって、おじさんが管理すべきお墓の掃除もしてるのーさんの方が、やるべきこと(それ以上に)やってて誠実だと思います。おじさん、そんなこというなら、黙って自分のお墓のついでに妹(姉?)のお墓も掃除すればいいのに。口出しばかりして、実際は自分が動かない親戚ってうちにもいるけどね。

>弟がいい気になって「自分はできている」と思ってしまうことが怖いのです。

弟さん、もうこれから急に性格が変わることは難しいかもねぇ、残念だけど、三つ子の魂じゃいけど、人の基本的な性格は10代でだいたい決まるから。

確かにお墓参りや法事って自己満足だよなって、私も思います。
一番の供養は、兄弟が仲良く、健康に幸せに暮らすこと。
これができて、ときどき親のことを考えながら、折々に報告できたら、それが一番の供養かもって思います。 あとは余裕があったり、気になったらお墓参りにいけばいいかな、ご先祖のためでなく自分のためにね。

うちはお墓を私ひとりで見るのはあまりに負担だからと、ずっと付き合いのあるお寺の敷地内にあって永代供養してもらえる共同墓地にお墓を移しました。祖父母も入ってたお墓なので、叔母や祖父母の兄弟が決めて、私に報告って形でした。 そこなら何もしなくてもいつも掃除してもらえて、常に誰かが花とお線香を変えてくれます。
のーさんの地域はそういうのないのかな?
2010/07/30(Fri) 23:56 | URL  | Rav #-[ 編集]
■Ravさん
Ravさんも無神論者ですかw
ていうか、Ravさんとこって年3-4回もそんなことしてるんですか!
お寺さん(院主さんっていうの?)に用意するものもお布施の額も(お嫁さんもww)なんかセレブな感じですね(汗)
うちはお経をあげてもらうのは年2回、お盆とお正月(母の命日)です。
何万円も包むのなんて、三回忌とか7回忌とか特別な法事の時だけです。
普通の時は5千円とお茶菓子(出したのを食べずにもって帰る)と別に用意する菓子折りって感じです。
それでも時給にするとすごいなって思うけどw

私が無神論者になってしまったのは、勉強会で阿弥陀様は生命あるものすべてを平等に浄土に連れて行くと教えていたのに、お墓に猫の骨を入れちゃいけないと言われたからですw
当たり前っちゃー当たり前の常識の話で、質問した時、「え?w」みたいな顔してたおじちゃんおばちゃんたちがいっぱいいましたww
でも私にはその常識のほうがおかしいと思えてしまって、宗教なんて所詮人間の作った都合の良い「おとぎばなし」なんだなって思ってしまったのでした。
とはいえその「おとぎばなし」に救われる人もたくさんいるので、無駄だとは思ってないのですけど。

>「私はお葬式もお経もこんな面倒なものいらない。死んだらキレイな海に遺灰を撒いてくれるだけでいい」

Ravさんだったら、お気に入りのバラを地植えしてもらって、その根っこのところに遺灰を撒いてもらったら良いんじゃないかな?(・・ってなんのアドバイスや!w)
でも、そうしたら確実に生まれ変わったらバラですよ、バラ!!

私は死んだあとのことはどうでも良いですw
もしか殺されてバラバラにされて山に埋められても、それでも別に良いかって思ってます。
死ぬ時に痛いのはやだけど、死んでしまえば痛くないし腐っても自分は臭くないしw

>そんなのハイハイって適当にいっておけばいいのに

はい、それが出来るようになるのが目標です!
そしてその先は、うまく甘えて結局おじちゃんにやらせてしまう域にまで達したいですw

どうもうちの家系は自分が損をすることを嫌うところがあって、ついでに掃除すると「しといたから!」って言わなきゃ気がすまないし、いつも自分だけ掃除しているという状態も我慢ならないみたいなとこがあります。
私はそういう考えから抜け出したくてたまらないのですが、まだ抜け出せてなくて、今は修行中です。
通路とおじちゃんちのお墓の草取りをしたのは、そんなわけで自分の修行のため。

>一番の供養は、兄弟が仲良く、健康に幸せに暮らすこと。
>これができて、ときどき親のことを考えながら、折々に報告できたら、それが一番の供養かもって思います。

ほんと、そうですね。
生きてる人も死んでる人も、こんなに楽しくて幸せな人生を与えてくれてありがとうって誰かに言われるのが一番嬉しい気がします。

共同墓地、あるのに知らなかったんです。
知ったのはお墓を建ててしまったあと、勉強会ででした。
永代供養も、無縁仏になっても供養してもらえるということで、言われるままにお金をお寺に納めたのですが、建てたお墓をずっと供養してもらえるのではなく、無縁仏になったらお墓を処分して共同墓地に入れるってことだったみたいです。
知ってたらお墓建てなかったのに・・・勉強不足でした。
あと、弟のことはもう諦めました。
弟が悪いとかじゃなく、私と合わないという意味で。
万が一あっちが変わってくれたらラッキー♪、くらいに思ってます。
2010/08/01(Sun) 01:30 | URL  | 野坂らいち #uv1XZDJs[ 編集]
う~ん…
 親戚のこういうことって煩わしいね。

 無神論者かぁ~。私は無宗教だけど神様っていると思います。だって、神様がいないと答えがでない事が多いからそう思います。
 でもお坊さんは信じない。もう亡くなっちゃったおじいちゃんの家によくお坊さんが来たんだけど、お布施も当たり前の様に何十万単位で受け取って、そんな大金貰ったのに、お礼の仕方が軽くてびっくりした。
 お坊さんが来る日はおじいちゃん豪華なお料理やお酒を用意して『あら?お坊さんってお酒とかお刺身とか食べないんじゃなかったっけ?』って???疑問に思った。接待している間、お坊さんを観察していたんだけど、ちっとも尊敬するような事柄が起こらなくて(言葉使いも悪かったし)『お坊さんって何だ?』って思いました。
 おじいちゃんに聞いたら『なまぐさ坊主って言うだ』とそれを別に気にしてなくて…なんて無駄な事にお金を使うんだ…って理解が出来ませんでした。
 私の両親から『死んだら、焼いてお墓にいれてくれればいい…お葬式は絶対しないで…』と再三いわれています。『死んだら骨なんてゴミだから…だからお前達もそういうものに執着するな…と言われました』。お墓も善光寺が見える共同墓地みたいな(コインロッカーみたいなお墓)をもう準備していて、そこに入ることになっています。 確かに骨はゴミ?だと思う。
  『人生って苦しい事ばかり。頑張って手に入れた財産も富みも栄誉も死ぬ時は置いていかなければならない…。どうせ死ぬのに、人間は何故生まれたんだろう?』って凄く疑問に思った。その時に色んな本を読んだんだけど、『人間は無から生まれて無に帰る。この世での勉強を終えたら、魂が着ていた体という洋服を脱いで、魂だけがもとの場所に戻る』って書いてあった。『もとの場所ってどこだ?』って読み進めると『天国』と言うか、『あの世』が元の場所らしい…。
 みんな神様から生まれた神の子。でも、神様と言っても子供だから、本当の神様になるには未熟。だから下界に下りて人間として生まれ、苦しみや悲しみや心の痛みを沢山体験して、ある程度勉強したらあの世に戻ってくる。でも、勉強不足の子は神様になれないから、また下界に産み落とされて何回も魂を磨く勉強をしなくちゃならない。全ての事柄をクリアしたら、ずっと痛みも苦しみもない世界で暮らせる…て書いてあって…それを読んだ時、私はホッとして『そっか、私も頑張って神様にならなきゃいけないんだ…』って思いました(変な頭いかれポンチって思うかな(^_^;)…)。
 でも、人間世界は苦しいもの。ついつい楽をして勉強せずにあの世に戻ると、暫くは神様の下で休めるけど、また下界に産み落とされて勉強しなくちゃならない(輪廻転生)。でも、苦しみを沢山勉強して、クリアしたらもう二度と生まれ変わらなくていい…。だから頑張ってこの世の苦しみを受け止めて克服しなさい…って書いてあった。
 よく何回も同じ局面にぶち当たることがあるでしょ(またぁ~、またこんな苦しみ、どうして私にばかり同じ苦しみが起こるのぉ~(>_<)…ってこと)。それはその人に与えられた今生での勉強課題内容だから…と書いてあった。だから、それをクリアしないと(立ち向かって克服しないと)同じような苦しい局面は何回も訪れる…。でも、出来ない事は何度やっても出来ない…。そんな神様みたいな人になるのは難しいから結局何回も生まれ変わって勉強するらしいよ(今で既に100回以上生まれ変わっているらしいよ)。よく記憶で『前にもこんな事があったような…』って思うのは、何回も生まれ変わって過去に体験してるからなんだって…。
 まぁ~嘘かホントかわからないけど、私はそんなおとぎ話みたいな話が凄くすんなり心に入ってきて『そうか。そうなんだ』って納得したの。
 だから神様を信じる…って言うか…。結局そういう見えない何かにすがらないと生きられない弱い人間なのかもしれないけどね…。

 でも、そうはわかっていても、骨はゴミと同じ…と思っていても(自分の骨はゴミだと思うから生ゴミ?燃やせるゴミ?と一緒に捨ててくれって思うけど)矛盾してるけど、両親の骨や、大切なペットの骨は粗雑には扱えないよね…。
 ネコの骨…。結局どうしたの?
 後でこっそり黙っていれても誰にも分からないし問題ないよ。
 全ての生き物の価値は同じなのだから、人間しか入れちゃダメって言うほうがアホだ…。
2010/08/02(Mon) 10:05 | URL  | マーヤ #-[ 編集]
■マーヤちん
マーヤちんが疑問に思ったこと、感じたこと、本で読んだこと、信じていること、みんな当たってると思うよ。
そうやっていろいろ考えていることや悩みもがんばっていることも全部、これから先のマーヤちんを作るのに大切なことなんだろうなって思います。

私は無神論者だけど、漠然とした、素人が考える科学的な考えwで、神のようなものってあると思っています。
具体的に言うと、分子とか原子とか電子とかいう話になるんだけどw、私は人も動物も草木もパソコンも車も、すべてのものは死ぬと微粒子に還ると思ってて、その小さい粒々にはその人が生きている時に感じたことが電気信号として微量に残されていることもあるんじゃないかと思ってるんだよね。

私が神のようなものって言ったのは、マーヤちんのいう無ってやつで、私がいう微粒子の世界。
私が考えている”電気信号として粒々に記憶が残されている”っていうことは、それはほんとうの無ではないんだけど、モノやヒトという塊ではなくバラバラに還ったという意味で、無と同じ様なものだと思ってます。
それが神とかあの世とか元の場所っていうのかなって。

それで、生まれ変わりっていうのは、またその微粒子同士がくっついて、モノやヒトになる時に、前にマーヤちんだったり私だった物質が一粒組み込まれるっていう感じ。
その一粒が記憶している電気信号のようなものを体が感じて、前世というか、生まれ変わりを思わせる源になっているんじゃないかと思うんだよね。

だから、今あるこの私という体は、元は誰かの体の一粒だったり草木の一粒だったりが合わさっているのだと思ってます。
成長するということは、野菜や肉や魚、いろんなものを食べて、それらの物質を自分の中にとりこんで、その中の、元は誰かだったり何かの一粒だったものたちが私に影響を与えていくことだと思います。
そしてまた死んで一粒に還っていくっていう・・・。

ややこしくて分かりにくいかもだけどw、要するに、マーヤちんも私も、好きなあの人も嫌いなあの人も、気持ち悪い虫も汚いゴミやうん○も、みーんな最後はちっさい粒々になって同じになるってことですw
将来一緒に一人の人間を作ることになるかもしれないし、一本の鉛筆になるかもしれないんだから、いがみ合いとか無意味なのかも知れないねw

生きている意味については、こう言ったら身も蓋もないんだけど、意味なんてないと思ってますwww
生きるために生きるっていうか、これから先を見るために生きているような気がしてて、嫌~な感じの先なんて見たくないから今のことを考えてるだけだと思うのです。

同じ苦しみを繰り返すことについては、修行とか勉強っていうのはある意味当たっていると思います。
同じ苦しみが何度も巡ってくるというのは、自分が変わらないからなのだと思う。
それに気付かない限り、勉強して自分の考え方ややり方を変えない限り、その状況から抜け出すことは出来ないよね。

マーヤちんは、何かにすがらないと生きられない弱い人間というより、とても純粋な人なのだと思います。
それから、生きることに関してまじめだなあって思いますw

猫の骨、ちーたんの骨はまだ家に置いてあります。
庭の木の下に埋めようかなとも思ったんだけど、骨はゴミwとはいえ、私にとっては特別な猫だし、そもそもちーたんは母が飼っていた猫なので、お墓に一緒に入れたら母が喜ぶだろうなあ、と思ったり。
どうしよっかな~って感じです。
こっそり入れても誰も気付かないし・・・入れるかもw
2010/08/03(Tue) 01:16 | URL  | 野坂らいち #uv1XZDJs[ 編集]
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秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
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