写真、短歌、日々の思ったこと。
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2010年12月08日 (水) | 編集 |
IMGP107400.jpg日曜日は母の十三回忌でした。
命日は1月1日なんだけど、あまり年末に近いとみんな忙しくなるので、12月最初の日曜に行いました。
晴れた日曜日、大人15人+子供1人が集まってくれて、にぎやかな法事になりました。
無事に終わってほっとしました。

お寺さんはお経を終えたあと、いつも説法をして下さるのですが、今回は人数も多かったからか長かったですw
話は、神や仏、極楽というものはあるのかないのか、信じない人と信じる人、信じる人は救われる、といったものでした。
お寺さんが、「そういうことを全く信じなくて、極楽なんてない、死んだら骨になるだけ、消滅するだけと言う人もいますが・・・」と話されたときは、『それ、私がこないだおじさんに話した言葉そのままやんw、なんで知ってるんや~』とビックリして、思わずにやっと苦笑してしまいました。

ざっくりばっさり話を要約すると、そう言って信じていない人でも、不治の病で死期が近い大切な人に、「死んだらどうなるんだろう・・・?」と訊かれたら、「極楽に行くんだよ」「また会える」と言ってしまう、そうであって欲しいと願ってしまうというものでした。

まあ、確かにそうだと思います。
私も母が危篤だった時は、どんな神さまでも仏様でもいい、悪魔でも良いから助けて欲しいと救いを求めました。
けど、奇跡は起こらず、というか、奇跡のようにあっという間に母は亡くなってしまいました。
だから信じないというわけではないのですが、私にとっては、「信じるものは救われる」というのは少し違っていて、「神や仏や極楽は、救われたい人が信じたいもの」と言ったほうがしっくりくるのです。
だからこそ、必要だとは思います。
今まさに救いを求めている人にとっては、「信じるものは救われる」という確実な約束が希望になることは想像できるからです。

人の信じる気持ち、神や仏やご先祖を大切にする気持ちは大事にしたいと思います。
その人が信じているのなら、神や仏は存在するのだと思います。
だけど私は、母にもう一度会えるとは思えません。
あの世があるとか、死んだらあの世に行くとか思えないのです。
死んだらもう二度とその人には会えない、生まれ変わりなどない、と思うことはとても辛いけれど、だから生きているということはすごいことなのだと思うのです。
やり直しの出来ないことだから、途中で嫌になったとしても、その先を何とかしていきたい、何とかしなければと思うのです。
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