写真、短歌、日々の思ったこと。
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2011年01月19日 (水) | 編集 |
第4章、『万葉集』の世界(2)。

まず、長歌の展開について。

山上億良(やまのうえのおくら)は、仏教思想を長歌で表現しようとした人物で、高橋虫麻呂(たかはしむしまろ)は伝説を主題に長歌を詠んだ人。
二人とも、それまでに和歌の世界になかったことを試みて長歌の可能性に挑んだものの、やはり、思想も伝説も散文のほうが向いていたのか、長歌はその後、衰退してしまったのだそう。
こういうのも一種の自然淘汰っていうのかな。
どう抗っても抗えない流れって、あると思う。

短歌について。

○寄物陳思歌(きぶつちんしか : 景物を比喩的な媒体として心情を述べる歌)
○正述心緒歌(せいじゅつしんしょか : 媒体を借りることなく心情を表現する歌)
上の二つがあるが、短歌の本質は、寄物陳思歌の中にあるとされる。

寄物陳思歌の多くが序歌様式
序歌様式とは、比喩的な景物を二句以上に展開させてこれを序詞とし、下句の心情の比喩とする方法。
つまり、短歌の多くは、上句の二句以上に心情をほのめかす景物を置いて、下句で「なぜならこうだから!」とぶちまける、または重要なヒントをもう1個置くって感じ?

あと、万葉集の時代、心情語彙が6~70語程度しかなかったというのが興味深かった。

○秋されば雁飛び越ゆる龍田山立ちても居ても君をしそ思ふ
○春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても君をしそ思ふ
○遠つ人猟道の池に棲む鳥の立ちても居ても君をしそ思ふ

三首とも下の7・7が全く同じで、「立っていても座っていてもあなたのことをこそ思う」と詠っている。
下の7・7で詠まれる心情が同じだということは、その心情に向かう上の5・7・5も、全くかけ離れた詠みになることはない。
結果、似たよ~な歌になってくる。
そしてそのうち、どうにか個性を出したい詠み人たちは、上句と下句をがらりと変えたり、わざと心情を一切入れない歌を詠んで、その背後に隠れる心情を想像させたり、あの手この手で多様な表現を作り出していく・・・。

そうか、いつの時代も変わらないんだなw
それが恋人か世の中か何に向けてかは人それぞれだろうけど、みんな、他と違う自分に気付いてほしい、ハッとしてほしい、こっち見て!って四苦八苦してんだな。
私も、きみに見てほしいw
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