写真、短歌、日々の思ったこと。
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2011年01月22日 (土) | 編集 |
第7章、『古今和歌集』の世界。

漢詩から和歌への影響と移り変わりについて。
この授業が古事記から万葉集、漢詩、和歌への移り変わりについて時系列で分かりやすくなっていることに、ようやく気付きましたw
文字のなかった日本に漢字が輸入されて言葉を文字として残せるようになって、それから、言葉を外国語で記す不便さを解消するためにひらがなやカタカナを作り出して普及していく。

既存のものを、より自分たちが使いやすくしていくという発想って、日本人が日本人になった時からずーっと受け継がれている性質なんだなって感じた。
仏教と神道とを融合させるとか、この世に不可能がなくなるくらい柔軟といえば柔軟、自分がないといえば自分がない日本人ってとても可愛らしいなって思ったw
どっち付かずの性格のせいで、世界の中でビミョーな位置になることも多いけど。

漢字が輸入されたことで、中国人の考え方が日本人にすごく影響を与えたんだなっていうことが理解できた。
例えば、万葉集の額田王(ぬかたのおほきみ)の、
君待つとわが恋ひをればわが屋戸の簾(すだれ)動かし秋の風吹く

<野坂訳>
君が来るのを待ちわびてたから、風が簾を吹き動かしただけで、き、来た!?って思ってドキドキする~
っていうw短歌。
この短歌の元ネタも中国の漢詩からだそうで、漢詩にもよく見られる題材で、元々は中国・南朝の呉地方で歌われた民謡らしい↓
夜相思 風吹窓簾動 言是所歓来

<書き下し文>
夜相ひ思へば、風窓簾(そうれん)を吹きて動かす。言(おも)ふ、是れ所歓(いとしきひと)の来ませるかと
そのまんまかよ!w

そして小野小町の有名な短歌、
花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに

<現代語訳>
花の色は盛りを過ぎて色あせてしまった。春の長雨が降り続く中で私が物思いにふけっている間に
も、花の色を女性の容姿に例えて老いに結びつけるという表現も、中国の漢詩に多く見られる人気テーマだったそう。
中国や韓国には日本のパクリものが多いけど、昔の日本人も相当パクってたみたいです。
いやあ、ルーツが一緒なんだねぇ~って感じw

でも、小野小町の上の短歌にはさまざまな工夫が凝らされていて、その工夫がただのパクリじゃない、日本人的だなあって思う。
例えば、「いたづらに」が前の「うつりにけりな」と後の「我が身世にふる」の二つに掛かっているとか、「我が身世にふる」の「ふる」が「世に経る」と「雨が降る」の二つの意味があるとか、「ながめ」も「長雨」と「眺め」の掛詞だとか、そういうとこがすごい。
この短歌詠んだ時、小野小町はさぞかし気持ちよかっただろうな~w
出来た!すごいの出来た!!
みたいなw
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