写真、短歌、日々の思ったこと。
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2011年01月24日 (月) | 編集 |
第12章、王朝漢文学の熟成。

和歌が再熱した平安初期の承和朝以降も、漢詩はなくなったわけではなかった。
作風としてはそれまでの現実離れしたものから、身近なものを題材にして詠まれることが多くなり、漢詩文はより日本的な漢文になっていった。

その頃、日本人に好まれた文型に、隔句対(かっくつい)がある。
『平家物語』の有名な冒頭の文章が隔句対になっている。
祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹(さらさうじゅ)の花の色、盛者必衰の断りをあらはす。
奢れる人も久しからず、唯だ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、偏(ひと)へに風の前の塵に同じ。
赤色の一句と三句、青色の五句と七句がそれぞれ対になっているのだけど、対句の間に一句ずつ入っていて隔てられているので隔句対というのだそう。
その頃、日本人に好まれた・・って書いたけど、こういう対句の流れ、今でもよく耳にする気がします。
隔句対は詠嘆調って先生も言ってたけど、確かになんかこう、気分を盛り上げるというか、訴えかけるというか、そういう場合に効果的な気がする。

当時、女性が漢文を読むことははしたないこととされていた(お経も漢文なので×)のだけど、紫式部や清少納言など、いわゆる働く女性にしてみれば、なんでやねん!って感じだったらしく、こっそりと読んでいたのだそう。
源氏物語にもその影響がいろんな箇所でみられるらしい。
漢詩文、和歌、散文のそれぞれがそれぞれに影響を与えながら、日本語としての表現の幅を広げていったんだなあって改めて思った。

漢詩文の授業で、白居易(はくきょい)っていう人がよく出てくる。
当時の日本人にすごく読まれていて、古典に多大な影響を及ぼしたらしいんだけど、古語とか漢文とかよく分かってない私でも読める易しい本ってあるのかな。
ちょっと興味ある。
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