写真、短歌、日々の思ったこと。
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2011年01月24日 (月) | 編集 |
第13章、『源氏物語』の世界(1)。

ついに来た、『源氏物語』。
全五十四帖あって、大きく三部に分けることができる。
一部は第一帖~三十三帖まで、二部は第三十四帖~四十一帖まで、三部は第四十二帖~五十四帖まで。

源氏物語って、読んでみたいと思いつつまだちゃんと読んだことがない。
時代の背景とか考え方とかを分かって読んだほうが楽しめるんじゃないかなって思っていたのだけど、この章と次章でかなりいろんなことを勉強できそう。
んー、でもきっとこんなに有名で多くの人に読み続けられている物語なんだから、何も知らなくても面白く読めるのかもしれないな。
今度の試験が終わったら、まず伊勢物語を読んで、それから源氏物語を読んでみたいと思う。

ていうか藤原先生、源氏物語をべた褒めw
ていうか藤原先生、光源氏が継母の藤壺とはじめて密通する場面の説明の時、力入りすぎww
でも藤原先生、そのおかげで私は源氏物語を深く知りたくなりました!
で、その逢瀬の時に二人が交わした歌↓
(光)見てもまた逢う夜(おうよ)まれなる夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな

(藤)世語りに人や伝へむたぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても

<現代語訳>
(光)また逢うこともむつかしいのだから、いっそこのまま今宵の夢にまぎれ入ってしまいたい

(藤)こんな苦しみを抱え込んでしまったわが身を、たとえ自分では醒めることのない夢だと思ってみても、事実起こってしまったことはもう取り消すことはできず、いつか世間にもれて、世語りになりはしないでしょうか
恋しさ極まって先生いわく、絶唱wの短歌を詠んだ光源氏に対し、藤壺の君は冷静。
ちなみに「もがな」は願望の助詞で、「もがな」を使った短歌には名歌が多く、光源氏のこの短歌は中性の歌人に非常に好まれて、本歌取りされることが多かったそう。

この章の説明を聴いていると、『源氏物語』には何か哲学のようなものがあるように感じる。
それは物語の地盤となっているのが漢文学で、儒教の考え方が融けこんでいるからかも。
光源氏が子息の夕霧に漢文学を勉強させるエピソードで、「高貴な身分の子息は何もしなくても高い位につけるのにそんなことしなくても・・・」って言った夕霧の祖母に対し、光源氏はその理由をこう説明する。

「何の苦労もなく高い位につけるような者はちやほやされているうち、何もないのに自分が大した者でもあるかのように勘違いしてしまい、その後ろ盾となる親が亡くなるとかすると途端に失墜してしまう。漢文学の教養を根本にしていてこそ、大和魂も世間から重んじられるものとなるのでしょう」
ゆるぎないものを一つ自分の中に持つっていうの、確かに大事だなって思う。
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