写真、短歌、日々の思ったこと。
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2012年09月11日 (火) | 編集 |
280円文庫。
ヴィヨンの妻、秋風記、皮膚と心、桜桃の短編四つが収録されています。

四編と巻末のピースの又吉さんのエッセイを読んで、一貫して思ったのは、ずいぶん生きにくい生き方をしているなあ、ということでした。
登場人物の誰も(と、又吉さんも)が、こうあるべき、こうである方が良いと思っている自分と実際の自分のギャップや周囲の目に縛られています。
勝手気ままにしているように見える「ヴィヨンの妻」の夫の大谷さんでさえ、完全なる自己中人間になりきれてなく、生きるのが苦しくて苦しくて仕方がないようです。

「桜桃」では、重苦しい現実である家族を家に残して酒を飲む場所へ(逃げて)来てしまった”私”に桜桃が出され、”私”は桜桃など見たこともない自分の子供を思いながら、それを不味そうに食べ、『子供よりも親が大事』と心で呟く・・・というシーンがあります。
又吉さんは、この最後の文章が大好きだそうで、『家に帰れば良いだけじゃないか、と思える人はある点において幸せであり、だが、きっと自分が気付いていないところで無自覚に人を傷つけて来た人だとも思う』と書いています。
私はこの又吉さんの言葉に半分は頷き、もう半分は残念で悲しい気持ちになりました。

人に気を使いすぎて自分を追い込んでしまう人は、確かに優しい人だと思います。
とても優しくて、そして弱い。
弱さからギリギリまで自分を追い込んだ末、ふと逃げてしまうのだろうと思います。
自分でも分かっているけど、どうしようもなく、そうなってしまうのでしょう。
逃げつつも、逃げた自分を心底嫌い、桜桃を子供に食べさせてあげたい(理想の)自分と、逃げている現実の自分のギャップに苦しんで、投げやりになり、桜桃を不味そうに食べながら「子供よりも親が大事」と呟く気持ちもよくわかります。
分かるけども、それでも私は、家に帰れば良いじゃないか、と思います。
そう思える自分が幸せだとも思うし、きっと自分が気付いていないところで無自覚に人を傷つけているだろうな、とも思います。
そこは頷けました。

ただ、自分が気付いていないところで無自覚に人を傷つけているのは、家に帰れば良いじゃないかと言える人だけではないと思うのです。
優しくて弱く、帰れない、人を傷つけてしまっていることを自分は自覚してやっているんだ、と思っている人も、自覚していない部分でも更に人を傷つけていると思います。
弱い人、繊細な人は、その弱さや繊細さをもって無自覚に人を傷つけます。
弱い人だけが傷つくのではない、繊細な人だけが傷つくのではありません。

ハッキリ言えば、自覚があるかないかを言うのは無意味です。
自覚のあるなしに関わらず、人を傷つけない人などこの世に存在しないと思います。
完璧な聖人であっても、その清らかさや正しさでもって無意識に凡人を傷つけるし、神や仏でさえ、人を傷つけたり争わせたりします。
話が逸れ気味になってきたけれども、私が言いたかったのは、とにかく日本人は真面目すぎるということです!w
真面目だし、優しすぎる。

こうあるべき、こうである方が良いと思う自分に縛られて、現実の自分とのギャップに苦しんで生きるのがつらかったり死にたくなったりするなんて本末転倒です。
辛そうな人を見てると、周りまでしんどくなるのです。
だからと言って自殺されたりしたら、救えなかったことが周りの人の一生の傷になるので迷惑です。
そんなくらいなら、こうあるべき、な人じゃなくて良いと思うのです。

「ヴィヨンの妻」の大谷さんの奥さんは、その辺のバランスを上手にとっていて素敵でした。
旦那さんがあんなんでも、家がそんなんでも、坊やがこんなんでも、その日初めて会ったお客さんに体をけがされようとも、『人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえすればいいのよ。』で毎日を過ごしてゆくのです。
奇妙に笑う自分の子供を見て『我が子ながら、ほとんど阿呆の感じでした。』って、母親だからって自分の気持ちにまで規制をかけない、素直にそのまま思うところがすごいな、と思いました。
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